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Misson for Life Island clinic minimally invasive surgery center. since 2003 
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LAC-LC

MISSION

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今回諸君に課せられたミッションはこうである。OKINAWAにあるNGH(Nakagami Genaral Hospital)は胆嚢摘出術や多汗症のBasicの内視鏡オペは4桁の件数に達しているがいわゆるAdvanced Laparoscopic surgeryに関してはDr.i-MISSION(アイ・ミッション)の1年間の努力にもかかわらず普及が進んでいない。この施設で胃や大腸の悪性疾患に対する内視鏡外科手術の誤解を解いてスムーズに導入できるようにしてもらいたい・・手段は問わない・・いつものことだが何があっても当局は一切関知しない・・それでは成功を祈る。

STRATEGY

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"佐倉の衝撃"からNGHに戻りi-MISSIONは胃ガンや大腸ガンに適応できるほどの高いレベルの内視鏡手術があることを伝えるもなかなか理解者は少なかった。高次の内視鏡外科(Advanced)を立ち上げるためにはやはり"佐倉見聞録"だけでは不十分であると痛感した。"百聞は一見にしかず"・・・NGHの外科医その他オペ室スタッフに一流の内視鏡手術をみてもらえばなんとか起爆剤になるかもしれない。

厚かましいとは思ったが国立佐倉病院(2002年2月現在)の山田英夫先生に内視鏡手術の手技と理論についてNGHにご足労願えないか相談することにした。何度かのemailのやりとりで国内外を飛び回る多忙の中2002年1月下旬になんとかスケジュール調整可能との返事をいただけた・・・

DOCUMENT

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yamadahideoときは2002年1月下旬、羽田発最終便で山田先生は沖縄那覇空港入りした。今回の計画は2日間で早期胃がんに対する内視鏡下手術2例と大腸癌に対する内視鏡下手術2例、全職員対象の内視鏡手術に関する講演会を依頼した。まさにスーパー・ハード・スケジュールである。しかも山田先生は、1月ニューヨークでの国際学会出張中に腰痛が悪化し、立つのもやっとの状態という、きわめて劣悪な環境であったにもかかわらずわれわれのために来沖された。

このような状態にもかかわらず1日目の午前にLADG(腹腔鏡補助下幽門側胃切除術)をわずか2時間15分で完璧に終了させた。外科医やORスタッフから感嘆の声がもれる。午後には上行結腸早期ガンに対する右半結腸切除を後腹膜アプローチ,D3を2時間で終了させた。感動に浸っているうちに夕方から病院最上階のホールにて内視鏡外科全般 に関する講演会が行われた。専門的な内容にもかかわらず外科だけでなく他科のDrや看護師さん、事務職員その他多数の職員が最後まで(立ち見も出る状態)内視鏡手術のあれこれに触れる機会を得た。講演会は大盛況であった。

yamada全職員対象の内視鏡外科に関するわかりやすい講義をしていただいた。2日目も同様に早期胃がんのLADGを午前に、右半結腸切除術を前日と同様の方法で行った。できれば直腸病変に対する低位 前方切除を依頼したかったが実現できなかった。
やっと4例の手術を終わらせてやれやれ、としていたところにとなりの手術室から山田先生に緊急の依頼があった。Dr.Yが若い男性の後腹膜腫瘍の手術を施行するところであった。山田先生に一緒にお願いできないか?とのことであった。かなりの疲労にもかかわらず快く引き受けていただいた。山田先生の美しい後腹膜手術が展開される・・・しかし後腹膜腔には腫瘤は見つからない・・レトロではなく腹ではないか?と、山田先生は言われた。内視鏡を腹腔内に入れ直す。しばらく剥離を継続すると確かに腹腔内であった。膵臓の下縁に連なる腫瘤であった。腹腔鏡下に切除した。

5人の患者さんの術後経過はもちろん良好であり合併症はなかった。病理学的検索の結果 適切な手術がなされたことも確認できた。後腹膜腫瘍もどきは結局重複嚢胞であった。

COMMENT

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lecture専門的な内容であるにもかかわらず医師、看護師、事務職員その他多数の職員が講演会に参加し、立ち見が出るほど熱気にあふれた。遅くまでだれも帰ろうとはしなかった。山田英夫先生との出会いはその後の僕の人生を大きく変えた。2001年2月千葉・国立佐倉病院の山田英夫先生に手術見学の依頼をした。無名・無能な卒後10年目の民間病院の外科医師に対し山田先生は快く見学することを許可してくれた。佐倉病院でのLADG,LAC,千葉大での生体腎移植、脊椎の前方固定術、どれをとってもカルチャーショックであった。腹腔鏡だけでなく胃カメラなどの軟性鏡も超一流であった。僕自身は無能であるが、他の人の手術を見極める能力はあるほうだと自負している。山田先生の手術は大変なことをいとも簡単に遂行してしまう。わずか1週間の滞在ではあったが過去10年で1番内容の濃い日々であった。感動だけではない。これは大変なことになってしまっている・・と思った。
中頭病院に戻り、他の10人の外科医に千葉でのあれこれを報告したが”遠いお国のおとぎ話的”でなかなか信実を伝えきれなかった。病院内で本格的に内視鏡手術をレベルアップ していこうという雰囲気にはならなかった。 1年近くまさに孤軍奮闘であった。

これでは沖縄の医療はかなり立ち後れてしまう・・・その思いが日に日に強まる・・

2001年暮れになりこのままではいけないと思い、かなり厚かましいとは思ったが山田先生にNGHで手術することを引き受けてくれないかE-mailで相談した。今回も快く引き受けてくれた。しかし問題は山田先生が来てくださるときにたまたまオペがあるか、という問題だった。それと患者さんはもちろん病院の外科医や消化器内科の先生、病院長がこのようなプランを受け入れてもらえるか、ということだった。いろいろなところで時間をかけてお願いし、やっとその時は実現した。かなりストレスフルな2ヶ月間だった。いわゆるストレス太りで体重は増加し胃薬も常用していた・・。

今回の山田先生のご協力でNGHでも胃がんや大腸がんに対する内視鏡外科が認知されていった。LADGという言葉でさえ誰1人知らなかったこの施設で1年間で13例のLADGを完遂することができた。大腸癌でも一部では3群の郭清も可能となり進行癌への適応も視野に入れつつある。また山田先生直伝の後腹膜手術の応用でこれまで困難であった副腎腫瘍や腰部交感神経節切除も可能となっていった。2002年は本当に実り多い年となった。山田先生本当にありがとうございました。

(2002年)

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