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Misson for Life Island clinic minimally invasive surgery center. since 2003 
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gastric bypass

MISSION

MISSION

strategy
今回諸君に課せられたミッションはこうだ・・
30代の病的肥満の女性である。これまで種々のダイエットを試みたがリバウンドを繰り返したという ・現在のBMIは45である。このケースに完全腹腔鏡下にRou en Y Gastric bypass術を行ってもらいたい・・わかっているとは思うが何が起ころうとも当局は一切関知しないので・・・それでは成功を祈る

STRATEGY

STRATEGY

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lrygbpルーワイ胃バイパス術のシェーマ。小さな胃袋(パウチ)と小腸を腹腔鏡下につなぎ合わせる。今回は30才代女性の病的肥満のケースである。これまで数々の食餌療法を中心とした内科的治療を行ったが効果がなくリバウンドを繰り返した。BMIは45とかなり高値である。

開腹手術でも肥満とこの解剖学的な部位の深さのためにこの手術は困難を極めると考えられる。腹腔鏡下となると視野は開腹より有利であるが、この手術で要求される手技は胃腸を縫い合わせる、いわゆる吻合(ふんごう)の技術を要する。これは腹腔鏡下手術のなかで最も困難な手技で、選ばれた外科医にしかできないと言われている。

この難易度の高い手術を高い確率で完遂するために、このオペを日本で唯一遂行できる選ばれた外科医KAZこと笠間和典先生に依頼した。

DOCUMENT

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gj anastomosisi小さな胃のパウチ(青矢)と小腸(手前)を完全腹腔鏡下に手縫いで吻合。2004年5月のある日、日本で唯一病的肥満に対する完全腹腔鏡手術を行っているKAZよりメールが届いた。”沖縄の子から肥満手術を受けたいっていうメールがあったよ”というものだった。彼女の悩みは相当のものらしく、数々の方法でダイエットを試みたが失敗に終わったという。すでに健康を著しく蝕んでいる徴候が出ているようだ。
  以前から僕は沖縄の肥満の急増については危機意識をもっていて、他のどの県よりもこの島は、きっと肥満が重大な問題になると思っていた。偶然KAZと知り合う機会があり1年前には群馬を訪問し肥満手術を見学させてもらったこともある。その後も、来るべき日のために準備を進めていた矢先のことであった。

偶然にも6月下旬には内視鏡外科手術の研修会が沖縄で初めて開催されることになっており、KAZはその講師として来ることになっていたので、その機会を利用してその子の診察ができないか、というKAZからの提案があった。そこで、僕は所属する中頭病院で診察ができるようにセッティングを行うことにした。
 6月26日那覇空港に到着したKAZを迎え、中頭病院まで案内した。患者さんとKAZそして稲嶺の初めての出会いであった。KAZは彼女とその母親に肥満手術についてとても詳しく説明した。・・時には術後に死にいたることもありますと彼はきっぱり言った・・・

それから3ヶ月後、彼女からやっぱりオペを受けたいとのメールがKAZのところへあった。結局オペは沖縄でKAZが行うということで話は進められた。場所は中頭病院で助手は稲嶺が行うことになった

2004年11月12日その日はやってきた。その4日前群馬でパワーアップしたKAZのオペを見ていたので、安心してこのオペに望めた。オペは絶対に成功すると僕は確信していた。堀江病院でKAZと2日連続で行ったオペや日系アメリカ人のKelvin HIGAのオペを何度もイメージし、前日には手術機材の最終チェックも万全にして環境は整えた。

gastroscope吻合が終了したら胃カメラをして吻合部に問題ないことを確認した。全身麻酔がかかりオペは開始された。アウェーでのオペ、常人ではプレッシャーや慣れない環境のために実力を発揮できない場合がある。しかし、彼の精神力はスゴイものがある。格闘家だけあってコンセントレーションも抜群だ!群馬の堀江病院で行ったオペと寸分違わずきわめてスムーズにオペは遂行された。ファーストトロカールも何の迷いもなく腹腔内に瞬時に挿入、ワーキングポートも3本追加した。腹腔内に鉗子が入る、先日群馬で行ったオペのビデオを見ているかのようだった。いとも簡単にトライツ靱帯を見つける。慣れた鉗子さばきで、腸管をたぐり何のためらいもなく空腸の離断を遂行した。そして、間髪入れずに空腸と空腸を体内で吻合。僕が言うのもおかしいが、基本手技はもちろん確実で、無駄な操作はいっさい排除されており、操作と操作の連結も全く無駄がなかった。これはもう、芸術の域に達しつつあると感じた。小さな胃袋、いわゆるパウチを作成する操作もきわめて美しかった。圧感はやはりこのオペのクライマックスであるパウチと小腸を縫い合わせる”吻合”である。”器械吻合にするか手縫いにするか?”とKAZから聞かれたが”もちろん手縫いで”と答えた。吻合は完璧に遂行されあっという間にオペは終了した。この劣悪な環境の中でトータルのオペ時間は実に2時間であった。

術後経過はきわめて良好であった。術後1週間になる・・彼女の体重はすでに減少し始めておりとても表情も明るい。勇気を持って自分でこの扉をたたいて、それを開けた彼女には近いうちにきっと肥満の呪縛から解き放たれる日が来るだろう。一緒に仕事をしているドクターのひとりが毎日変化する彼女を見て”これはドリーム・オペだね!”と言っていたのが印象的だった。


COMMENT

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operation手術を行う笠間和典先生(右)と稲嶺進(左)概して外科医はあまり感謝されることはない。手術の多くが患者さんの命に大きく関わるものでありながら、手術を受けた人が幸福感を得られないからであろう。外科医はがんの手術を施行する機会が多いがそれが最も典型的な外科手術である。患者さんは全く困っていないのに、検診で見つかったからといって胃や腸や肺や乳房などを切り取られる。もちろん痛みは伴うし、醜い傷跡も残る、ご飯が美味しく食べられないとか、人工肛門になってしまって不便だとか、乳房を切除してとても悲しいとか、とにかく失われたものだけがクローズアップされる。どんなに完璧な手術を行ってもだれにもわからない。

ところが今回のこのオペは違う。術後の彼女の表情から確かな”夢”が感じられる。明るい未来が待っているという雰囲気が漂う。それを共有して僕らもとてもハッピーになれる。中頭病院の栄養科のスタッフはこのオペの術後の特別食を肥満食ではなく”ドリーム食”と名付けてくれた。大きな器にわずかな食事では素っ気ないので小さくてかわいい食器やランチョンマットを病棟のナースが調達してくれた。みんながひとつの夢を見ているようだ。

KAZは言っていた。『がんの手術は患者さんを不幸にしないためのオペであり、肥満のオペは患者さんを幸福にするオペだ』
たしかにそうだと思う。これは、いままで外科医の経験したことのないオペだと思う。
眼科や整形外科や泌尿器科や産婦人科、耳鼻科のいわゆる外科以外の外科系のドクターは経験していると思う。見えなかった目が見えるようになったり、膝が痛くて歩けなかったのに歩けるようになったり、排尿がスムーズに出るようになったり、不妊で悩んでいたのに子どもに恵まれたり、聞こえなかった耳が聞こえるようになったり・・・・失われた幸福を取り戻すことによって多くの幸福を患者さんと医療者が共有できてきたはずである。不思議なことに外科医にはそのような類の経験はあまり無かったのである。

operative scar手術直後の腹部の様子。小さなキズが4カ所のみである。アメリカではこの胃バイパス手術は2003年には13万件も施行されたとのことである。その数は胆石の手術も上回り、最も多い外科手術のひとつになっているという。日本はアメリカほど肥満の人口は多くはないためこの手術が必要なひとはきわめて少ないだろう。先進国の中で日本は確かもっとも肥満率の低い国となっている。しかしこの国でも、徐々に肥満は増加している。特に、日本一長寿であったはずの沖縄で急激に病的肥満が増加している。それに関連して、若い世代の死亡率が上昇し平均寿命はトップから男性は一気に26位まで転落した。この傾向は今後も顕著になっていくであろう。

このオペはまだこの国においては産声を上げたばかりだ。しかも、腹腔鏡下でこなすのはKAZだけだ。これからが真価を問われることになるだろう。選ばれた内視鏡外科医にしかできないと言われているこの難易度の高いLRYGB(Laparoscopic Rou-en Y gastric bypass)・・僕も選ばれた内視鏡外科医になれるように日々研鑽をしている・・あとは神様が選んで下さるかどうかというところだ。

Bariatric Surgery・・・ひとを不幸にしないためのオペではなく人を幸せにするオペ。開腹か内視鏡かの議論・・このオペに関しては全く不要であろう。困難でつらいかもしれないが内視鏡外科医がやらなければ誰がやるのか・・。

最後に彼女のためにKAZとともに沖縄にきてくれた管理栄養士の樺沢さん、ソーシャルワーカーの中里さん、この治療に理解を示し支援して頂いた中頭病院宮里院長、その他多くの関係者に深く感謝します。(2004年11月)

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