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Misson for Life Island clinic minimally invasive surgery center. since 2003 
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内視鏡外科手術 原点への旅

  • Return to MISSION "Back to the SUTURE"

2012年12月6日、横浜で開催された第25回日本内視鏡外科学会総会でカールストルツ賞(KARL STORZ AWARD)の表彰式があり稲嶺の演題が選出された。これは私事であると同時に我が国の内視鏡外科発展において一つのマイルストーンになる気がしてとても嬉しく思った。da Vinciを始めとしたロボット支援手術という最先端の内視鏡外科手術がブレイクし、最難関の領域肝胆膵にも腹腔鏡手術が大きなうねりを上げ、腹部の傷を極限まで少なくするReduced port surgeryが話題な中で、歴史の比較的長い腹腔鏡下胃がん手術において何の変哲もないローテクな技術にスポットライトを当てていただいた今学会の松本純夫会長に心から感謝を申し上げたいと思います。

SooSoo受賞式の記念写真そもそもカールストルツ賞(KARL STORZ AWARD)とは何だろう。毎年1回この時期に開催される日本内視鏡外科学会総会は数ある外科系学会の中でも最先端の研究結果が発表される。会員数1万人あまりのこの大きな学会で総会参加者は5000人前後と言われている。また、演題数も年々増加し2012年には2065題の応募があったとのことである。一般演題は1502題がありその中でビデオで発表されるものの中からカールストルツ賞は最大3題まで選出される。公式にはカールストルツ賞とは『内視鏡外科手術の発展のために、優れた研究成果を発表した会員を表彰し、奨励するために1999年から設けられた制度で、当該年度の学術集会で発表されるビデオ演題を対象として選考されます。受賞者には賞状が授与され、副賞として1週間程度の海外トレーニングコースに招待されます。』と定義されている。抄録による一次審査を通過した者は研究内容のビデオを作成し提出する。そのビデオ審査を経て受賞演題を当該年度の学会長が決めるとの事である。

今回の僕の演題のタイトルは『Back to the SUTER 自動縫合器を使用しない完全腹腔鏡下食道空腸吻合と残胃十二指腸吻合』とした。このようなまじめな学術集会でこのようなタイトルは即,落とされそうなものだが、こんなものにチャンスを与えてくれるこの学会は本当に心が広いと思う。このテーマには2つのキーワードがある。一つは『完全腹腔鏡』そしてもう一つは『手縫い』ということだ。本格的に内視鏡手術に取り組んで12年、いろいろな出会いの中からこの2つのことがずっと僕のテーマだった。今回のミッションは腹腔鏡下胃がん手術を始めてからカールストルツ賞受賞に至るまでの12年を振り返りその足跡を辿ってみることとしたい。

【第一章】プロローグ
心臓血管外科医になることを夢見て琉球大学第2外科へ入局したのは1991年5月のことだった。同期は6人いたが1年間琉球大学医学部附属病院内で研修し2年目からは修行のためそれぞれが大学外の病院のローテkatsunori and meToyama K. and me 2001ーションへと旅だった。1年ごと、または2年ごとに関連施設への出向が続いた。行く先々でいろいろな人に出会い、多くの事を学んだのはいいが、ほとんど毎年変わる環境でいったい自分が何をすべきなのか分からないまま時が過ぎ、優秀な外科医になりたいという夢からはどんどん遠ざかっている気がしていた。医局の人事は同期6人のうち2人だけにエリートコースが与えられ、他は行き当たりばったりだった。当初は5年で大学へ戻ってリサーチ生活をするはずだったのだが、打ち上げられた人工衛星のように大学へ帰還する道は徐々に閉ざされ、”宇宙のゴミ”になるのが規定路線となっていった。1年でたった3つの小手術しかなかったいわゆる慢性療養型病院のあと中頭病院へ出向となったのが1999年、卒後9年目、僕にとっては初めてのhigh volume hospitalだった。実質的に外科医のスタートとなったのはその年と言っても過言ではないだろう。そこで2年を過ごした後、大学人事で次の出向先へ向かうはずだったがいろいろあって大学医局を離れることになった。当時中頭病院の副院長であった當山勝徳先生(写真↑:先生とのツーショットは腹腔鏡がとらえたこの小さな写真しかない) はアメリカで5年間外科医を経験した後、中頭病院へ戻った。心臓外科以外は胸部、腹部を問わずあらゆる外科手術をこなすスーパー外科医であったが、1991年日本で初めて多汗症に対する胸腔鏡下胸部交感神経焼灼術を行い、沖縄で初めて腹腔鏡下胆嚢摘出術を施行したことでも有名だった。當山先生に身の振り方を相談したところ、中頭病院に残ってもいいけれども他の誰もやっていないことをしなさい、自分の居場所を作りなさいとのことだった。それからテーマ探しが始まった。確かに胆嚢摘出術などのBasicな内視鏡手術は年間300例ほどもあったが、大腸癌は少数、胃がんに対する腹腔鏡手術は皆無だった。いわゆるAdvanced laparoscopic surgery こそが自分の居場所を作ってくれると思った。同時にAdvance lapを始めようとした矢先、運動神経疾患に冒されてメスを持てなくなった天才外科医(當山先生)の代わりにこの道を切り拓く決心をした。その後の困難な道もその思いがあったからこそ歩めたんだと今でも思っている。

【第二章】LADGとの出会い
2001年、千葉県の国立佐倉病院を訪ねた。1週間の千葉での滞在期間は僕の世界観が変えられるほど衝撃的だった。山田英夫先生の腹腔鏡下大腸切除(LAC)は今ではほとんど行われなくなった後腹膜アプローチだったがその手術はものすごいスピードで当時時間がかかるのが普通だった腹腔鏡手術のイメージを変えざるをえなかった。LAC見学が目的であったが、1週間の手術日程表に『LADG』なる文字を発見した。山田先生にLADGって何ですか?と質問したところ、山田先生の目が点になったんだと思うが数秒間の静寂のあと『腹腔鏡補助下幽門側胃切除術(Laparoscopy assisted distal gastrectomy)』と丁寧に教えてもらった。これが初めての腹腔鏡下胃切除術との出会いだった。これもまた、現在の標準とは違う方法だったが疾風怒濤のそのオペスタイルはかなりの衝撃だった。そのとき、これからの手術はとんでもない時代になると直感した。山田先生が行った千葉大学でのドナー腎摘や整形外科手術でも後腹膜アプローチの芸術に感嘆したのを今でも鮮明に覚えている。

【第三章】Bariatric Surgery(肥満手術・減量手術)との出会い
LAC(腹腔鏡補助下大腸手術),LADG(腹腔鏡補助下幽門側胃切除術)、LH(腹腔鏡下ヘルニア修復術),LA(腹腔鏡下虫垂切除)、LS(腹腔鏡下脾摘出術),などいろいろなAdvance手術を施行していく中で、ELK(金平永二)と知り合った。直腸のLSTをTEM(Transanal Endoscopic Microsurgery)で手術してもらったのが始まりだ。ELKが開設していたELK(エルク)というホームページに触発されてこのMISSION というサイトを始めたのが2003年だった。LADGも順調に行っていたが、あの上腹部の5cmの小開腹は思っSuturing MASTERMASTER of Lap Sutureた以上に痛みがあったのであれをどうにかならないかとずっと思っていた。その矢先、ELKの紹介でKazu(笠間和典)と知り合うことになる。病的肥満の腹腔鏡手術を日本で唯一行っていたKazunのガストリックバイパスを見学させてもらったのが2003年秋のことだった。ガストリックバイパスは胃がん手術の再建と同じ技術を使うのだが、全く開腹操作無しで手術操作を行っていることに衝撃を受けた。そして、KazuからKelvin Higaの美しい腹腔鏡手術の存在を知ることになる。小開腹をおくことなく完全に腹腔鏡だけの操作でしかも、腹腔鏡手術でもっとも困難とされている針と糸だけによる消化管吻合を僕らが開腹手術でやる以上に速く美しく行うそのビデオは衝撃だった。その技術を胃がん手術に取り入れたい・・そう思った。

【第四章】デルタ吻合との出会い
2005年幽門側胃切除の再建でRoux-en Yを導入していたが、姫路医療センターで金谷誠一郎先生の手術を見学させていただく機会に恵まれた。完全腹腔鏡下ビルロート1法再建である『デルタ吻合』はまた新たな衝撃だった。その後、腹腔鏡下幽門側胃切除術には患者さんと腫瘍の位置によってデルタ吻合とルーワイ吻合をどちらも行っていった。しかし、腹腔鏡下胃全摘術では食道空腸吻合を腹腔鏡下で安全に行う技術がなく相変わらず7cm程度の小開腹をおいて直視下にCircular staplerを使って行っていたが、狭く深い暗い術野での再建は苦しいことこの上なく決して安全とは言えなかったため新たな方法を模索していた。

【第五章】FETE (Functional End to End) , Overlap法との出会い
腹腔鏡下にCircular staplerを使う方法をあれこれ考え、現在では大森法(EST法)と呼ばれているDouble staplingの方法を独自に考え豚での手術は成功していたが人での臨床に適応するには至らなかった。仙台で行われた肥満外科学会系の学会で九州大学の永井英司准教授と知り合いlinear staplerによる食道空腸吻合(Modified ovelap method)を見せていただいたのは2007年夏のことだった。永井先生にその方法を安全に施行するノウハウを詳細に教えていただいたおかげですぐにその方法を導入することができた。LADGに出会ってから小開腹の補助をなくすまで幽門側胃切除では4年、胃全摘までは6年を要した。LADGがLDGとなりLATGがLTGとなり一つの完成形になったかに見えた。しかし、症例を重ねると全摘でのリニアーステイプラーによる再建も欠点がありベストかどうか疑問を抱いたまま3年という時が経過した。Ciucularでの再建も研究を続けたがエラーの少ない安定した方法を見つけることが出来ないままでいた。その間も病的肥満に対するガストリックバイパスは行っていたが胃空腸吻合をステイプラーを使わずに針と糸だけ、いわゆる『手縫い吻合』を行っていたが6年間で1例の縫合不全もなかった。その頃から食道空腸を針糸だけで吻合できるのではないかと思い始めていた。

【第六章】手縫い食道空腸吻合前夜
2008年6月アメリカ肥満外科学会でKelvin Higaに初めて会った。その後も国際学会ではちょくちょく顔を合わせたが進化し続ける彼の腹腔鏡下縫合技術に少しでも近づきたかった。2010年2月Kelvinがアジアで初めて行われるBariatric Surgeryのコースの講師としてIRCAD Taiwanに来るという情報を得た。高い参加費ではあったが千載一遇のチャンスとばかりに申し込んだ。レクチャーや彼のライブ手術、動物ラボでの手術ももちろん勉強になったが、最も良かったのは彼と話すチャンスが持てたことだった。夜の『飲み会』の席、Kelvinに相談した。日本では未だに多くの胃がん手術が行われていて腹Hand sewn EJ手縫い食道腔腸吻合のイラスト腔鏡手術も行われている。胃全摘の後の食道空腸吻合を日本では多くの場合自動縫合器で行っているんだけど、Circular もLinearでも一長一短で安心感のある標準術式が確立されていない。Kelvinが行っているガストリックバイパスのように針と糸だけで食道と空腸を吻合できないかとずっと思っているのだけど意見を聞かせてほしい、と・・。Kelvinは手縫いで出来ると言った、しかも既に行っていると言っていた・・その後アルコールが入っていたこともあって根掘り葉掘りしつこいくらいに技術的な事も含めて話を聞いた。帰国後、オーバーラップ法を続ける傍ら手縫いの技術的な詰めを行っていったが手縫いはまだ導入できなかった。4月には再度アメリカに渡った。SAGES(アメリカ消化器内視鏡外科学会)のprecongress courseでKelvin HIgaはじめ世界の超一流の『腹腔鏡下縫い師』たちが講師に名を連ねていたためだ・・そこで得た知識と技術はまたいつかの機会に。

【第七章】手縫い食道空腸吻合導入
2010年5月,Kelvin Higaの2度にわたるアドバイスを参考に第1例目の手縫い食道空腸吻合を行ったが、案ずるより産むが易しで手術は思ったより楽だった。術後経過もあっけにとられるほど全く問題無く経過し退院した。その後も症例を重ねノウハウを蓄積、徐々に吻合時間も短縮していった。不思議だったのが、器械吻合をしていた時に比べてストレスが全くないこと、助手の技術にあまり依存しないことだった。それと、術後の患者さんがオーバーラップ法を行っていた時よりよく食事が摂れることだった。吻合口はlinear staplerの方がはるかに大きいのだが・・!?。その後は、幽門側胃切除ではデルタ吻合、ルーワイ吻合はlinear staplerを、全摘では手縫い法を行っていった。腹腔鏡下手縫い食道空腸吻合は同年の日本内視鏡外科学会で初めて報告した。

【第八章】最後の楽園 The last resort
体腔内再建体腔内再建セミナーでデモ中 (with Dr.木下&Dr.大森)高度肥満に対するRoux Y gastric bypassをはじめとするBariatric Surgeryでは小開腹をおくことなくすべての操作を腹腔鏡下に行うことになんら違和感を持っていない。北米、南米諸国、ヨーロッパ、そして台湾を始めとするアジアの国々の外科医が100kgをゆうに超える高度肥満の患者さんの体腔内消化管吻合をするのを国際肥満外科学会などで多く目にしてきた。すべての消化管吻合、Roux en Y再建後の腸管膜欠損部の閉鎖など『普通に』その基本的な外科手術が行われている。国内ではどうか・・。肥満手術は未だにほとんど行われていないが、胃がん手術はもちろん多数行われている。幽門側胃切除術後のBillroth I法再建ではデルタ吻合で体腔外操作を一切排除しているが、Roux en Y再建ではすべての体外操作を排除する施設はまだ少数だと感じている。特に空腸空腸吻合は確かに臍から体外で引き出して直視下に従来の方法でやる方が簡便だけれども、誤解を恐れずに言うと、今日が良ければすべてよしという観点のような気がしている。最初は苦しくても明日の、そして1年後の患者さんを救うためには敢えて体腔内で縫うべきだと思っている。(その理由の詳細はまた別の機会に)ステイプラーやクリップ、ベッセルシーラーなどのハイテク器機は型にはまったときは素晴らしいパフォーマンスを発揮するが、そうでないときは・・。最近、肝・膵領域での腹腔鏡手術の発展は著しいがHonda G.先生の腹腔鏡下肝右葉切除時のIVCからの大出血を止めるシーンを見た人も多いだろう。クリップもステイプラーもエンドループもベッセルシーラーも役に立たない場面・・ひるむことなく前へ出て確かな技術でさりげなく静かに縫って止める・・これこそが、外科医の神髄、逃げることなく戦うこと、それが外科医として必要な『覚悟』なんだと改めて感じた。患者さんにとっても外科医にとっても絶体絶命の場面、でも縫える技術があれば、容赦なく襲ってくるつらい局面も乗り越えることが出来る。困難なことから逃げることをやめて敢えて戦うことを続けることによって得られる境地がある。そうすれば、それまで心臓に何かが刺さっている様な抑圧された感覚がとれて清々しい楽な気持ちになれる・・僕はその境地を『腹腔鏡外科 最後の楽園 The last resort』と名付けた。多くの腹腔鏡外科医がその楽園の存在に気づくようになるまで小さな活動を今後も続けていきたいと思っている。

稲嶺 進 Susumu Inamine M.D.

内視鏡外科手術のサイトMISSIONを主宰する稲嶺進は琉球大学第二外科の関連病院を10年ローテーションした後、内視鏡手術にフォーカスするために2001年から大学医局を離れ敬愛会中頭病院に勤務しています。2002年金平永二先生との交流をきっかけに2003年にMISSIONを立ち上げ、腹部内視鏡外科手術の研究を続けてきました。2004年には笠間和典先生の助けを借りて日本で2施設目となる高度肥満に対するガストリックバイパスを導入、2005年からは完全腹腔鏡下幽門側胃切除術、2007年からは完全腹腔鏡下胃全摘を導入しました。腹腔鏡手術全般を行っていましたが呼吸器外科、大腸外科、肝胆膵外科がそれぞれ内視鏡外科を導入したことから近年は胃外科に特化した活動を続けています。

出典: 天才内視鏡外科医の群像 稲嶺進著

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