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静かなる神の手

静かなる神の手

2007年8月、台風5号の隙間をぬって福岡を訪ねた。近くて遠かった場所・・・九州大学。ここでこれまで長いあいだ僕の前を覆っていたミストが嘘のように消えていくのを感じた。九州大学 第1外科 助教(講師) 永井 英司 先生、早期胃癌に対しておなかを切らずに、リンパ節郭清、血管処理、十二指腸切離、食道切離、食道空腸吻合、空腸空腸吻合、そして胆嚢摘出術を完全に腹腔鏡下に行った。この、もっとも困難な腹腔鏡手術のひとつである腹腔鏡下胃全摘術を見学させていただける機会に恵まれた。
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kyushu uviversity hospital九州大学病院ダイエーホークス王貞治監督の胃がん手術で一躍有名になった”腹腔鏡下胃全摘術”。通常、胃がんで胃を全部とってしまう胃全摘術はおなかに少なくとも20cmの切開をおく必要がある。こんなに大きく腹部を開けてでさえ外科医にとっては難易度の高い手術のひとつである。駆け出しの若い外科医にとってはいつかはトタール(胃全摘術のこと)ができるようになりたい・・というあこがれの手術でもある。腹部を切らずに1cm前後のカメラや手術機器を腹部に出し入れするポートを数カ所入れるだけの腹腔鏡手術は患者さんの体にはものすごく優しいが、外科医にとってはものすごくストレスフルな手術である。この手術の山は多くここですべてを語ることは容易でない。とくに僕が困難性が高いと感じているのは食道と小腸をお腹を開けずに完全に腹腔鏡下で吻合(つなぎ合わせること)することである。実際未だに腹腔鏡下の食道空腸吻合の標準は確立されていない。今回この完全鏡視下食道空腸吻合を学ぶために福岡へ飛ぶことになった。オペの前日8月2日に福岡入りする予定であったが事もあろうに台風5号が九州地方に近づいているではないか・・夕方には福岡に着陸出来ないかもしれない・・急きょ飛行機の予定を繰り上げるべく那覇空港へと向かった。最初満席で無理との事であったためキャンセル待ちをかけていたところ飛行機の燃料を少なく積むことになったので乗れますよ、とのことであった・・そんなこともあるんだと感心した。燃料系統のトラブルで1時間半遅れではあったが無事那覇空港を離陸することが出来た。1時間半後、高度を下げるとかなり揺れたが福岡空港へ無事ランディングした。そこはすでに横殴りの雨が強くなりかけている頃だった。


翌朝はすでに台風5号は日本海に抜けて静かな朝が訪れていた。・・九州大学病院新棟へ到着、オペの現場は世界ナンバーワンの内視鏡手術システム、ドイツ・カールストルツ社のOR-1システム、もっともハイグレードなレベル4の部屋だ。すでに患者さんには全身麻酔がかかり手術の準備は整っている。執刀医の”お願いします”の合図でオペは開始された。静かな雰囲気の中、臍下に1cmの皮膚切開がおかれカメラポートが挿入された。おなかの中を観察すると比較的脂肪は少なく少しほっとしたが、視野がいつもと違って変だということに気づいた。カメラは30度斜視であったが真上から見下ろしている感じだ。理由は不明だがきっと内臓が下に下りてきているんだろう、と思われた。そして外科医の手となる鉗子類を出し入れするポートが慣れた手つきで挿入された。戦闘の準備が整ったところで腹腔内には外科医の意志と技術Eishi Nagai永井英司先生を伝達する直径5mm、長さ36cm前後の様々な機器が直径12mmの4つのポートから飲み込まれていった。内臓脂肪も少なく一見楽にオペは展開するかと思われたが、空間が狭く胃の周辺の癒着もあったりで窮屈な中での戦いを強いられる予感がした。予想通り癒着のためおなかの中の裏宇宙である網嚢へ入るのにちょっとだけ時間を要したもののそこを突破してからは一気に視界は良好になった。・・あれ、肝臓は持ち上げないのかな?と思った。今や肝臓をつり上げるのは腹腔鏡下胃切除術において常識的な作法であると信じていた僕には新鮮な驚きであった。また、安全な手術操作のための空間の確保、正確な切離ラインを設定し切離するための適切な組織の緊張の維持をするため、通常は胃を鉗子で把持しつり上げたりして術者と助手で3点支持を行い幾何学的な平面を作成することが多いが、そういうこともしなかった。完璧な舞台を作成することよりも、胃やその他の臓器に不必要なストレスを与えないということだと思われた。助手の渡邊先生の操作も実に巧みであった。胃や肝臓をガシッと把持するのではなく、ヘビのようにくねくね曲がる“スネークリトラクター”を自在に操り手術操作に必要十分な舞台を演出する。思わず「へびつかいだ」と思った。へびつかいは医学のシンボルにもなっている、杖に2匹のヘビがまとわりついているあれである。話が脱線したが永井先生の手術は見た目の派手さよりも、オペで本当に必要なだけのピンポイントの視野を作り静かにそして確実に仕事をこなしているという感じだった。不思議だったのは組織を切離する超音波メス(ハーモニック・エース)から、ミストや煙が出ないので視野はすこぶる良好だ。よく見ると組織をブレードの先端半分くらいでしか把持していない。それはまるでお茶漬けを食べるのに箸の先端を1cmだけしか汚さないようなもので簡単なようだが結構エネルギーを要するものである。ハーモニックのactivateも常時フルスロットルではない、最初は半分程度のエネルギーをそして後にフルのエネルギーをブレードに与える。そういったひとつひとつのこだわりがとても大事なことなんだと思った。それと、鉗子の出入りは本当に少ない。右手はほとんどの時間ハーモニック・エースを操っている。剥離鉗子で無理に切離すべき空間を作成し、そこを超音波で切っていくというスタイルではない。剥離鉗子を使う機会は本当に少ない。ハーモニック・エースのブレードを剥離鉗子替わりに使っているわけでもない。切離に伴って自然にできた(意識的に作っているかもしれない)小さな隙間に静かにハーモニックのパッドを入れて切るべき組織だけを静かに切離する、そういった緻密な作業の連続だった。血管を処理するときも決して無理に鉗子を通してクリップを通すためのトンネルを貫通させることはない。剥離鉗子もほんの1-2mm 程度しか広げない。結果、小さな血管を引き抜いてしまって一気に術野が血液で汚れてしまうというような場面は全くなかった。強引に突き進むことはない、一歩進んで、そしてそこで見えた景色をそのまま受け入れそして一歩進んでいく。たぶん素人目には分からないであろうレベルの高いエレガントな世界につい見とれてしまった。また、リンパ節郭清をしていく上で十二指腸を先に切離しないということも驚きだった。幽門側切除であったならば再建がやりやすいとか、手術コストを下げたいという理由で先に切らないということもあるだろうが全摘なので、どうせ最後に十二指腸を切るのだから先に切るのが普通だと思っていた。しかし、スネークリトラクターで胃を空中につり上ope.senary手術風景げることによって胃と膵臓の間のヒダが展開した・・。なるほど、このほうがカウンターがかかってうまく展開できるかもしれないと思った。でもこの操作は十二指腸を切ってからでもできるが・・・。でも切ってしまったら「ヘビ」は使えなくなる。鉗子などで胃そのものを強くつかまなければならない。そうすれば胃の壁が傷ついてしまうかもしれない。切除してしまう胃までも愛護的に操作するのか・・そこには何か高い信念を感じざるを得なかった。確かに開腹手術ならほとんど無いが、腹腔鏡で切除した胃を切開したときに標本の粘膜面が無惨に傷ついているのを見てこれでいいのだろうか?と思ったことはこれまで何度もあったことを思い出した。そうこうしているうちにリンパ節は一塊に郭清され全胃は切除された。もちろん郭清は腫瘍学的にもビジュアル的にも完璧であった。そして何より感心したのは終始一貫、手術室の雰囲気が良かったことだ。スタッフの間にピリピリした雰囲気などまったくなく永井先生の器の大きさが感じられた。

 さて、台風の中、福岡に来た主な目的は食道空腸吻合をいかに行っているのかを学ぶためであった。胃全摘でもっともつらいのはこの場面である。幽門側切除のときのように5cmの小開腹から直視下に再建というのはほとんど不可能に近い。7cmだと何とかできるがとてもストレスフルでエラーも発生しやすい。永井先生は食道を反時計方向にねじることによって結果的に縦、つまり体の前後方向に食道を切離した。普通に切ると横方向だ。そして、挙上した空腸脚には腸intracorporial anastomosisi体腔内縫合間膜の対側ではなくやや横方向にステイプラーを挿入する小孔をあけた。食道は縦に切開した背側のステイプルラインを少し落としてステイプラー挿入孔とした。それぞれの小孔にエンドカッターのフォークを挿入し、そして、ファイアーした。そして十数秒後静かにカッターを引き抜いた。・・これは何だ・・?一瞬目を疑った。オーバーラップ法だと思うが、出来上がりは開腹手術で通常行っているcircular staplerを使ったRoux Y吻合の出来上がりに似ているではないか・・。食道に巾着縫合をおく手間も、アンビルを食道に挿入するストレスも、巾着をエラー無くしめる結紮操作も、アライメントを合わせてアンビルシャフトを合体させるストレスも、吻合後吻合器を引き抜くストレスもない。しかも、理論上はcircular staplerよりも吻合経も大きい。こんなうまい話があるだろうか。もちろんステイプラー挿入孔を縫合閉鎖する手間はあるが・・・。永井先生はこの部分の針糸での縫合閉鎖もいとも簡単にこなした。しかも、カメラの位置は両手の鉗子、持針器を右側からのぞき込むpara axialという難易度の高いポジションであった。縫合を終えた後、改めて食道空腸吻合部を見てみた。吻合後の形態も実に普通で安心感があった。この一連の吻合操作はエラーが起こりにくく、万が一エラーが起こってもリカバリーショットが打てる・・これはいけると確信した。オーバーラップ法は王監督の手術を執刀した宇山一朗先生のオリジナルであるが、それをちょっとだけmodifyすることでこんなにも印象が違うのだと感激した。コロンブスの卵というのはまさにそのことなんだと改めて実感した。

 オペが終わり九州大学病院を後にした。中庭にあるCarl Miles作の彫像、「神の手」をしばらく眺めていた。外科の道を究めようとする者はいつも願う・・この手で困難なオペをこなして多くの人を救いたい・・神の手になりたい。見えざる神の手、そう、どんなにすばらしいオペをしても患者さんには見えない。褒め称えられることもない。それでも困難な道を登っていくストイックな世界だ。その道を進んでいったものだけに神の手は与えられる。hand of god神の手
永井先生のオペは静かであったが強い信念とエナジーを感じた。静かなる神の手のイメージが僕の体に焼き付いた。これまでずっと悩み続けていた答えが出そうで僕の心は台風一過の福岡の空のように晴れ晴れとし福岡の地を後にした。

最後に無名の市中病院の外科医に手術の見学を許可していただいた九州大学第一外科(臨床・腫瘍外科)田中雅夫教授、オペ室でわざわざ僕のような者を気さくに迎えていただいた清水周次準教授、惜しみなくその技術を伝授していただいた永井英司先生(助教)をはじめすべてのスタッフに感謝いたします。これから僕とかかわるであろう患者さんたちにもきっとこの経験が生かされることを確信しています。(2007年8月)。



永井英司 Eishi Nagai MD

2009年現在永井英司先生は九州大学第一外科准教授として臨床、研究および教育の現場そして数多くの学会で活躍されております。手術では胃癌、食道癌の腹腔鏡・胸腔鏡下手術を数多くこなされており丁寧でこだわりの手術はいつ見ても美しさを感じます。

出典: 天才内視鏡外科医の群像 稲嶺進著

nagai